// 8. Exiles_Versus_Chasers



「待て! この馬鹿! ――下ろせよ!!」
 コバルトが悲痛な叫び声を上げて、懸命にもがく。猛スピードで運ばれながら宙をばたつく両足。イアンの屈強な腕と、皮肉なことにコバルト自身が作った特殊性の布地は、ちいさなコバルトがいくら暴れても、どんなに爪を立てても、わずかな傷にさえならない。
 前を向いたままのイアンが短く言う。
「何言っても無駄だろ。ああゆう人は人の意見に耳を貸さない。説得するお前が疲れるだけだろ」
「だとしても!」
 今にも泣き出しそうな、コバルトのひきつった声。
「だとしても僕は分からせなきゃいけない。あの人に、」
 遮ったのは、イアンの落ち着いた言葉。
「大丈夫。お前には、このあとの策があるんだろ」
 コバルトは酷く驚いた顔をする。数秒かけて、言われた言葉の意味をじっくりと考えた。一呼吸入れてから、ちっとも褒めていない声音で呟く。
「えーと、とてつもない動物的勘だ、な」
「おう」
 それは全くその通りだったので、イアンは誇らしげに胸を張って笑った。
「それに、こっちのほうがお前が一緒に走るより、たぶん速いだろ?」
「……どうだろ」
 コバルトの瞳はイアンの肩越しに背後の光景を見ていた。反政府軍(レジスタンツ)の防壁を突破した、追っ手と思わしき警備ロボが、最新鋭の移動装置に乗って近づいてきている。仕様書にあった最高速度から、こちらの現在速度を算出し、諦めたような表情を一瞬だけ浮かべたコバルトは、顎をぽすんとイアンの肩にのっけた。まるで、自宅のソファでくつろぐ子どものように。
 その手が、白衣の内側から一本の棒を取り出す。
「効率的な選択をしただけだからな、しょうがなくだからな!」
 ものすごく不服そうに言って、銀紙に包まれた細い棒を後方へと投げた。雷のような音と閃光が白い廊下に広がる。追っ手の移動装置が急停止する。重心を崩したロボが転倒して床に打ち付けられ、ばらばらになった。
 コバルトの手際のよさに、イアンは口笛を吹く。
「追ってきても無駄だよ」
 尚もどこからか現れた新しいロボに、コバルトはつまらなそうに言って二本目の棒をかざす。
 イアンは抵抗の意志がなくなったコバルトとフェルミを抱えなおし、突然降りようとしても大丈夫なようにと加減していた速度を引き上げた。ぐんと増える荷重。更なる加速に、面白くなさそうな顔をしたコバルトは黙って唇をつきだした。
 振り落とされないように、イアンの腕をしっかり掴んで。

//

 地下街の細い路地をジグザグに駆け抜ける。人工的に管理された風が顔に当たる。
 見慣れない景色を見回しながら、
「かなり郊外に来た気がするんだけど」
とイアンが呟いた直後、それまで「右」か「左」しか言っていなかったコバルトが別の指示を出した。
「ここで止まって」
「おう」
 イアンが腕を緩めると、コバルトは身軽にぴょいと降り立った。白衣の裾を整え、すっかり凝り固まった肩と首をほぐしてから、一歩進んで目の前の壁に肉薄して、
「開けて」
言うなり、扉が跡形もなく消えて、細く長い通路が現れる。
 イアンが目を輝かせて壁を叩いた。
「これは俺でも知ってるぞ。音声認識ってやつだろ!」
「メインは声紋認証だけどね」
「……?」
 思考停止したイアンの前をコバルトがさっさと追い抜いた。
「先に行くよ」
 通路に向かうコバルトを、イアンが追う。
 やたらと反響する空間に二人分の靴音が響く。
「なぁ、一体どこに向かってるんだ? ていうか徒歩で逃げ切れるのか? さっきの感じだと、かなりの数が追っかけてきてたみたいだけど」
 しきりに前後を確認しながら言うイアンに、耐え切れなくなったコバルトの返事。
「ああもう、うるさいな。政府(ガバメント)のNシステム、知ってるだろ!」
「何それ?」
 ちらと振り返ったコバルトは、わざとらしくため息をついてから、耳に引っ掛けていたインカムを後方にぽいと放り投げる。あてずっぽうに投げられた金属を、宙でたやすくキャッチしたイアンは、出撃時にセリウムから教わった通りにそれをヘッドフォンへ挿入する。
 タイミングよくコバルトが言った。
「セリウム、説明任せた」
 すぐさま耳元から聞こえてくるセリウムの声。
『え? 私が説明するの?』
 コバルトの返事はない。
『もーだんまりー』セリウムの不満げな唸り。『あのねイアン。政府(ガバメント)は全ての移動機器を製造段階から一台ずつ管理していてね、所有者・運転者・行き先などあらゆるデータを把握しているの』
「へー。すげーな!」
『だから政府(ガバメント)から逃げようと思うなら、機械を使わずに移動するのがベスト、ってわけ』
「なるほどなぁ」
『それから、ID検索って言って、個人の現在位置が特定できるシステムもあるんだけど、それは――』
「今から人工空間(AA)に入るよ」
 コバルトが声をかけて、現れたパネルに部屋番号を入力する。
『うん、わかった。またあとでねー』
 それきりセリウムの声が途絶える。
「あれ、おい、セリウム?」
 イアンが慌てて耳元のインカムを叩いて、
「うっさ!」
自分でやったことに顔をしかめる。
「コバルト、インカム壊れたぞ?」
「違う。人工空間内には電磁波が伝播しない……えーと、今からセリウムと話せない場所に行くから。それは壊れてない」
「なんだ、そうなのか」
 コバルトが努めて平易に説明したおかげで、イアンは納得したように頷く。
「つまり、防音室みたいなところか?」
 コバルトの眉間に皺が寄る。それからぼそぼそと呟いて、
「……かなり極端にすれば、伝播しないという意味で同じ……まぁその認識でいいか」
大きく頷いた。
 二人は白いラインの引かれた先の部屋へと足を踏み入れた。境界を仕切る扉があったわけでもないのに、一歩進んだだけで雰囲気が変わった。まとわりついてくる生ぬるい空気に、なぜか全身の皮膚がちりちりと粟立つ。埃っぽいような、かすかに甘い香りがするような、奇妙な空間。視界に時折、砂嵐のようなものが映っては消える、という現象が断続的に繰り返される。
「ごめんね、居心地が悪くて。まだ開発段階なんだ」
 コバルトは空間の奥へ、そう声をかけた。
「いえ!」
 すると現れたのは、どこかで見た鋭い顔つきの男。屈強そうな体格。動きやすそうな格好。細い顎をグイと引き、足を揃えて敬礼した。
 その姿勢のまま、ぴたりと止まる。
「お疲れ様ですッ」
「うん、ご苦労」
 コバルトは男に見向きもせず通り越して、白衣を脱いで、中央にあるソファに座った。顎で男を示し、イアンに紹介した。
反政府軍(レジスタンツ)の代表」
 そこでイアンも思い出す。
「あ、さっき飛び込んできた先頭の人か」
「はい」
 男は汚れた顔で愛想よく笑んだ。バイト先の店長にちょっとだけ似ているな、とイアンは思った。
 コバルトがいつになく真剣な表情で腕を組んだ。
「まずは現状報告を」
「は。博士たちが《中央研究所(ラボ)》の敷地から出られたのち、頃合いを見て全軍撤退。私以外の生存者は既に各々の指定位置に潜伏し待機中。追っ手は全員撒いたことを確認済みです」
「順調だね。じゃあ、全員、第二地区に移動させて」
「今日中にも。武具類はいかがいたしますか」
「えーと……」
「――な、なぁ」
 イアンが右手を挙げて、うろたえた声を出す。
 算段を練っていた男の瞳がついと動く。
「俺たち、本当に正しいことしてるんだよな?」
 面倒くさそうにコバルトが視線をやる。萎縮しながらもイアンは考え考え、続ける。
「や、だって政府と対立してるんだろ? てことはつまり」
「うるさいな」
 コバルトがぞんざいに打ち切った。睨むようにイアンを見上げる。
「政府の意見と違う意見を持ったら、それがすぐに悪なのか? 問答無用でいついかなるときも、政府が正しいのか?

――だからこそ、何を正しいと思うのか、自分で確かめてみればいい」

 イアンは息を止めた。その言葉が、イアンの内面にじっくりと染み渡ったから。
 コバルトは目を伏せて話し続ける。
反政府軍(レジスタンツ)に良いイメージはないだろうけど、彼らは、一般的に言われているような反政府活動はしていない。あれは便乗している過激派と極端な宗派の連中だ。それを政府関係者が見せしめの悪のように報道するから、ああなる」
 男も深く頷いた。
「私どもも別段、訂正などしませんしね。実際は何もしていないのに、向こうが尾ひれのついた噂を勝手に広めてくれるのなら何よりだ。異を唱える市民を認めない、政府の理不尽な弾圧と違法なはずの情報改ざん。いずれ真相を知ったとき、一般市民はどちらの側につくのか。見物(みもの)ですね」
「協力関係にある僕らにとっては、ただの絶好の隠れ蓑」
 男が微笑んだ。
「我々が実際に武力的な行動に出たのは、博士のご指導を頂いた今回が初めてですよ」
 イアンが驚く。
「へぇ。には見えなかったけどな。すごかった!」
 正直な賞賛に、男は照れたような顔をする。
「ありがとうございます。ヴァーチャル訓練とシミュレーションの賜物です。――よろしければ、今度ぜひ敵役として参加してください、イアン殿」
「おう!」
 それをコバルトが鼻で笑った。
「無理無理。コイツ一人でログインできるわけない」
 男が説明を求めるようにコバルトを見る。
「と、言いますと……?」
「コイツあれだよ、パメス。そんで筋肉バカ」
 突然出てきた差別用語に、男はじっとイアンを見て、深く考え込む。
「……では、もしかして、こちらの強化服(ARM)は……」
「そういうこと。電気通してないんだから、探知機に引っかからなかったのも当たり前」
 軽く頷いて、コバルトは立ち上がった。
「あ、この件は内密に」
「もちろんです」
 男はしっかりと頷いた。
 コバルトが部屋を出る。イアンが追う。
「あの人、着いて来ねーの?」
反政府軍(あいつら)がついてこれるのはあの部屋まで」
「そうか。で、どこなんだここ?」
 いつの間にか全然違う風景が広がっていることに驚きながら、イアンが聞く。
「僕らしか知らない、僕らの拠点……実質的に、世界の最上階」
 コバルトがそっけなく説明した。
 空は広く、濁って暗く、ぼんやりとかすんでいる。
 目線を左右に向ければ、はるか遠く、もう少しで地平線が見えそうなところに、磨きぬかれた白いエナメルのような艶めく部分と、洗いざらしの帆布(はんぷ)を藍染めしたような風合いの部分、鈍く淡い遊色効果を持つ部分――三種類の材質が寄木細工のように複雑な模様を描いて壁をつくっている。それも、手前にせりだしている部分と奥へ引っ込んでいる部分とがあったり、要素ひとつひとつが大きいところと小さいところがあり、遠近感がうまくつかめない。それでいて不思議と眼が疲れることのない、均衡のとれた、奇妙な丸い壁が周囲を丁寧に覆っている。
 足元は白くやわらかく、まるで溶けない粉雪のよう。
 そんな、見たこともない景色のはずなのに――
 イアンはなぜか、とてつもない懐かしさと居心地の良さを感じていた。
「おかえりー」
 少し先にある建物の前で、セリウムが出迎えていた。満面の笑みでこちらに手を振っている。
 コバルトが無言で、フェルミの手を下へ引く。気づいたイアンが、素早く片膝をついてフェルミをそっと下ろした。セリウムがスカートの裾を広げながら、一目散に駆け寄ってくる。
「おかえりっ、フェルミ」
 諸手を精一杯ひろげたセリウムが、ぎゅ、とフェルミを抱きしめる。膝立ちのフェルミはされるがまま、じっとしていた。きつく閉じたセリウムの目尻に、光るものがにじんでいる。
 その様子を見て、イアンが微笑む。
 傍らのコバルトに耳打ち。
「なぁ、あれ、どっちが抱っこされてるかわかんないな!」
「……黙ってろ」
 コバルトが顔をしかめた。
「さーてと!」
 ことさらに明るい声をあげて、セリウムがフェルミから離れた。
「お待たせイアン、コバルト。ほんとうにお疲れさまでした。お部屋に入ろっか!」
 言うなり、建物の扉が消える。
「おおーすげー!」
 覗き込んだイアンが歓声を上げて、建物の中へと消えた。
「家財道具にこれだけ感動してくれるとはね」
 戸口に立ったセリウムが笑顔で見守る。
「おおお、秘密基地みてー!」
 中から聞こえてきた声に、コバルトがため息をついた。
「馬鹿丸出しだな」
 もうイアンは「すげー」しか言えなくなっていた。
「何だこれ強そう!」
 ふと目についた地球儀のようなものに手を伸ばす。
「あ、イアンそれ、」
「――馬鹿危ない世界が滅ぶ!!」
 真っ青な顔をしたコバルトがそう叫ぶと、イアンが手を伸ばした先にいきなり壁が現れた。反射的にイアンは指を引っ込める。
「な、なんだ?」
「その棚、地球の骨組み支えてるものだから、迂闊に触るな」
 コバルトなりに分かりやすく懇切丁寧に砕いてやったその説明は、壮大すぎてイアンの脳の処理能力を超えていた。目を点にして、青年は人形のように頷くしかない。
「……おう。……おう、悪かった」
「なによう、コバルトがあけっぱにしといたのが悪いんじゃん。これからはちゃんと閉めときなよ」
 無視して歩き去るコバルトの背中に、セリウムが頬をふくらませて。
「それとね、コバルトっ」
 コバルトは瞬間的に「来た」と悟った。
「お部屋そろそろ汚いよっ、片付けなねー?」
「……」
「うるさいな」と口に出しはしないものの、そう言わんばかりの目で振り返る。
 数秒睨み合って。
 二人の間でどんな無言のやりとりがあったのか、それぞれの脳内でどのような論理が展開されたのか、それらは誰にも分からないが――ややあって、コバルトがちょっとしょんぼりした感じになって、青いカーテンの向こうへと消えた。
 イアンが好奇心に顔を輝かせて、その背を追う。
「俺、手伝うかー?」
「いい」
進言をすげなく断って部屋に入り、
「荷物運ぶのは得意だぞ……って、なんだこれ」
目を丸くしたイアンの後ろから、セリウムの笑い声が飛んでくる。
「この家で『片付け』っていうのは、INTERAの自動化を言うんだよ」
 端末や部品やティーカップが宙を移動している。と思ったら小さな羽虫のようなものがそれらを運んでいた。
 持ち主の動線と利用頻度を考えて、自動的に最適配置を算出し実際に収納してくれる。そうセリウムの説明が届く。
「自分で置き場を考えなくていいってことだろ、便利だな!! これ販売しねぇの?」
「既にν社と価格交渉中」
「おおー」
 イアンの歓声に混じって、
「……この移動時間が落ち着かないから嫌なんだよ」
と小さくコバルトがぼやいた。

//

 対応に追われ慌しく動き始めた《中央研究所(ラボ)》の中で、シルビアは有事のための指令系統を整えながら報告を行っていた。
「至急、外壁の修復と研究試料奪還の手配、および強化服(ARM)探知機の見直しを進めます。それから――」
「……」
 オーラムは返事をしない。
 その様子に気づいたシルビアは活発にめぐらせていた思索を全て止める。
「ボス?」
 オーラムの右手が顎鬚を撫でる。思案するように、何度も。そばで仕えるシルビアにとっては見知った、元首が熟考するときの癖だ。視線を虚空に投げたまま、誰に聞かせるでもない疑問をぽつりとこぼす。
「なぜ突然、あの青年を連れてきたのだと思う?」
質問の意図を図りかねたシルビアは戸惑いながら答える。
「仲間になったから、では?」
 オーラムはぴしゃりと言った。
「あの天才はそう簡単に他人を頼らない。ましてあのような、知恵の回らない子どもを使おうなどと、何かよっぽどの理由がない限り思わない」
 迂闊なことは口にしないほど慎重な王の、断言。
「……随分と、博士の性格を熟知してらっしゃるようですね」
 驚くシルビアをさしおいて、オーラムは首を回して空を見た。その顔に浮かぶ年相応の懐古の様に、シルビアは物珍しさを覚えて目をしばたかせる。
 そこにあるのは、年老いた一人の男の姿、それだけだった。
「ああ。とてもよく知っている。なにせ……なにせ一時期は、孫に迎える、という話もあったくらいだからな」
 シルビアは驚きのあまり絶句した。未練をすっかり断ち切ったような、何かを諦めたような表情をして、オーラムは歩き出す。
「ついに実現しなかった、非公式の話だ」
 シルビアは何と言うべきか迷って、結局何も言えないまま。
「元首!」
突然の大声が割り込む。解析班の一人が、血相を変えて転がるように駆け込んできた。
「何だ」
いつもどおりの落ち着き払った元首が応じる。
「足取りが探知不能です!!」
不明瞭な報告にオーラムは眉を寄せる。
混乱しきっている男は、必死に言葉を選んで形にしていく。
「し、失礼しました、えぇと、コバルト博士およびセリウム博士の所在を掴むことができません」
「だから、それはなぜだ。早急に彼らのIDを解析し、GPSデータを提出しろ」
「で、データなし、です」
ためらいながらの報告に、オーラムは目を見開いた。
「……それは、確かか」
脇から言ったシルビアも目に見えて当惑している。男は目を泳がせながらもはっきりと頷く。
「はい。……まさか、こんなことが……」
 ID原則。全ての人間その他生命体は固有のIDを持ち管理される。
 前任の元首が制定したこの原則により、複数の名を持つことや戸籍の抜け漏れは絶対に起こりえない事象となった、はずだったのに――
 それを打ち破る事例は、制定以降かつて一度も報告されていなかったのに。
 現象を自身の目で確かめるべく、オーラムは手元の端末でID検索を起動させた。ヴン、と電子音が鳴り、青い光がオーラムの顔を照らし出す。すぐさま機械音が告げる。
『該当IDなし』
 シルビアが愕然とする。
「恐れながら……現在走行中の追尾ロボが全て振り切られた時点で、潜伏場所の再発見は限りなく困難になることが予想されます」
 青い顔で解析担当は言った。オーラムは画面を睨んだまま、ぽつりと言った。
「……当検索システムの製作者名を表示」
 ポン、と端末が応答する。表示された製作者名に、オーラムはゆっくりとまぶたを下ろした。ギィと椅子が鳴る。
「あぁ」
と吐息交じりの呟きをもらしてから指を組み、、
「……テルルか」
久しぶりにその名を口にした。


//

「IDが、ない?」
イアンはぽかんと口を開けて、瓜二つの顔を交互に見た。とても冗談を言っているとは思えない彼らの雰囲気に耐え切れなくなって。
「て、いうことは……お前ら実は、人工生命体だったりして!」
そう言って笑うイアンを、双子は真顔でいなした。
「その指摘自体は、あながち間違ってもないけど」
「へ?」
 イアンの動揺を差し置いて、コバルトは優雅にティーカップを傾けた。
「IDがないのはまた別の理由。世界に一人だけ、IDを消せる人間がいてね――誕生日プレゼントに、消してもらったんだ」
「……」
 イアンの脳裏に奇妙な情景が浮かぶ。キャンドルの点いたケーキを置き去りにして、嬉しそうに端末をのぞきこむ幼い双子の姿。
「だから、追っ手がここにたどり着くとしたら、イアンのIDがバレてそこから、っていう可能性だけになるんだけど、」
セリウムの言いかけた言葉をコバルトが引き継ぐ。じろりとイアンを睨んで。
「僕たちにつながるような手がかり、周囲の人間にもらしたり、してないだろ?」
 突然そんなことを聞かれたイアンは腕組みをして、天を向いた。そのまましばらく考え込んで。
「あ、まずい!」
 焦ってソファから立ち上がった。
「言いふらしちゃったぞ!」
「何て言ったの?」
 微塵も慌てた様子を見せず、セリウムが尋ねる。
「『頭の良い双子の子どもにヒーロー役を頼まれた』って!」
「……」
 コバルトが珍しく、機嫌よさそうに表情を緩めた。
「あんたが馬鹿でよかったよ」


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