// 7. Alert!




『正面ゲートに侵入者あり。要警戒。繰り返します――』

 断続的に響いていた電子音。それを打ち消すように、巨大な爆発が起きた。
 天井から落ちてくるスピーカーから、耳をつんざくような警報音(アラート)が鳴り響く――

 政府(ガバメント)直属下の最高研究機関、《中央研究所(ラボ)》の遮蔽シールドが、突如としてブチ破られた。最高機密の研究を進める迷彩部屋(ステルスチャンバー)に現われた不法侵入者の正体は――バカでかい銃砲をかついだ、たった一人の少年だった。
 なぜか誇らしげな顔をして、崩れ去った強化鋼鉄繊維の白壁に足をかけ、《中央研究所(ラボ)》の最奥に顔を出した。
「おっし、着いたー!」
 そう叫んで、危機感の欠片もなく、長い伸びをする。
 鮮やかな緑色の髪を防音用のヘッドフォンで留め、黒と橙を基調とした、よく見るタイプの強化服(ARM)に全身を包む。肩に乗せているのは、銃口から薄く硝煙を上げる、とんでもなく大きく武骨な銃砲。現存する最高強度の素材を難なくぶち抜いた未知の兵器を前に、研究者たちは凍りつく。
 そこかしこで悲鳴が上がった。
 過去に前例のない緊急事態に、逃げ惑い、走り回る研究者たち。研究資料を保護する使命感はあれど、暴力に対抗できる体力も設備も、全くと言っていいほど整っていない。
 その混乱の中で、まっすぐに迷いなく、少年の目の前まで歩み出てきたのは、
「――殺す気か、この筋肉バカが!!」
仏頂面をした、小柄な男の子。
 利発そうな顔立ち。青い瞳に、不思議な色をした髪は襟足だけを長く伸ばしている。白衣をまとったその背丈は、大人の半分くらいしかない。そんな幼い見た目に反して、《中央研究所(ラボ)》における最高レベルの権限を持つ特殊な要人――この世界の発展を加速度的に推し進めた立役者、《RE:CODE(レコード)》構築責任者。稀代の天才と謳われた存在。その片割れ。
 そのちいさな頭を、侵入者の少年は気安く撫で回して、快活に笑った。


 腕組みをした老年の男性が、モニタールームからその様子を見下ろしている。
 彫りの深い横顔が、暗い部屋の中、淡く浮かび上がる。
「……」
「どうされますか」
 背後に控えていた女性が、小さく鋭く問いかけた。
「降りる」
 男は靴のかかとを鳴らして、部屋の傍らに備え付けられている移動装置へと向かう。
「ついてこい、シルビア」
「はい」
 女性もそのあとに続いた。


//

「よっ、助けに来たぜ、コバルト!」
 笑って声をかけたイアンに、
「殺しにきたの間違いだろ!!」
なぜかコバルトは怒鳴る。突然の剣幕に、イアンは目を丸くした。
 更に近寄ってきたコバルトは、イアンの目の前で両手を挙げて、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
 イアンはますます目を丸くした。
「何してんだ?」
 コバルトは顔を真っ赤にして、イアンの耳にあるインカムを指さした。
「いいから! それ取って、セリウムと話をさせろ!」
「おう。ほい」
 言われるがまま、ヘッドフォンからカード型のインカムをカシャンと取り出して手渡す。
 耳に当てるなり聞こえてきた甲高い悲鳴に、コバルトは顔をしかめた。
『イアン、イアン、何してるの? 今の音、もしかしなくても撃っちゃってないよね?!』
 状況を確認したコバルトは、ため息をついて、地を這うような低い声を返す。
「ばっちり撃ったぞコイツ。僕の耳を弾丸が掠めた」
『え』
 コバルトは左手を喉元に当てる。未だ収まりきらない心拍数と手の震えに、インカムと声が揺れている。鈍感な犯人に気づかれないうちに、振り払うように首を振り、コバルトは真横の石柱を睨むように見た。そこには無数の亀裂が広がっている。
「フェルミの《籠》にヒビが入った」
『えええ?!』
「でも、ほら、たどり着いただろ?」
 自慢げにイアンが胸を張る。
「昔っから道にはよく迷うけど、方向感覚には自信があるんだ!」
「じゃあ迷うな」
 恨みがましくコバルトがイアンを睨む。
『ね、ねぇフェルミは』
 あわあわとセリウムが問う。
「無事」
 コバルトがノックするように、石柱を軽く叩く。亀裂がくもの巣のように、波紋のように広がって――石柱が破片を散らして、割れた。
 倒れこむように降ってきた身体を、反射的にイアンが抱える。
「おわ」
 抱きとめた冷たい人型は、ずいぶんぎこちなく、反応鈍く首を回してイアンを見た。
 能面のような青白い顔。ガラス玉をはめ込んだような瞳。頬に赤みはない。
 そして――驚くほど軽い。
 イアンの足元から、コバルトの声がする。
「この子はフェルミ。僕らの『家族』だ」
「おう。よろしく、フェルミ」
 フェルミは返事をしない。
 髪の隙間にまぎれる破片をとってやりながら、イアンは首をひねった。
「……なぁ、こいつ元気ないみたいだけど」
「これがフェルミのデフォルト」
「? 腹へってるんじゃねぇの?」
「……『デフォルト』の意味もわかんないのか……」
 コバルトは諦めて肩を落とした。

 そこに、聞き覚えのある声が響く。
「早急に、警戒レベルを最高に引き上げろ」

 唐突に生まれた温度差が穏やかな風を作り出し、人々の間を通り抜けた。風上に注目が集まる。粒径も色も様々な、無数の粒子の集合体が虚空に浮かんでいる。全員が焦点を合わせた頃には既に、二人の人間の輪郭を形作っていた。
 そうして現れたのは――彫りの深い貫禄ある顔をした初老の男と、付き従うように脇に控える長い髪の女性。
 イアンが好奇心に瞳を輝かせて、傍らの天才にささやく。
「すっげ。――なぁコバルト、あれはどうなってるんだ?」
 コバルトはそれには答えずに、一歩進む。
 現れた男に向かって、軽く右手を挙げた。
「久しぶり、元首」
 あまりに自然にそう言うものだから、イアンの理解が一瞬遅れた。
「な、は、……ええええー?!」
 突然の最高権力者の登場に、イアンは目に見えて動転した。コバルトがそれをうるさそうに睨む。
「何。この人、《中央研究所(ここ)》の所長も兼任してるんだから、知り合いなのは当然だろ」
 イアンが男を指さした。
「どっかで見たことあると思ったら、元首か!」
「そっちか!」
 コバルトが唖然とする。心底軽蔑した顔をした。
 イアンがなぜか照れたように頭を掻く。
「や、確かに見たことある顔だな、でも誰だっけなって思ってたところで、さ……」
「そこまで物覚えが悪いとは思わなかった」
 呆れるコバルトは、すっかり冷え切った答えを返す。イアンを押しのけるようにどかして、コバルトはオーラムと対峙する。
 オーラムは黙したまま周囲を見回す。部屋の損傷と不審者一名を確認してから、コバルトに問うた。
「何の騒ぎだ」
 コバルトは表情を変えないまま、いたずらっ子のように舌を出す。
「実験。ここのセキュリティは万全だって言われてるけど、内部と外部から同時に攻撃したら突破できそうだったから、検証してみようと思って」
 両手を後頭部に当て、悪びれずに堂々と言った。
 オーラムの目が、コバルトを見下ろす。コバルトも平然と見返した。
「……」
 わずかに動くオーラムの薄い唇。それが声になる前に、コバルトは肩を竦めて両手を上げて。
「はいはい」
 ――珍しく口元を大きく緩めた。
「ごめんね嘘」
 コバルトは好戦的に笑って、男を見上げる。
「昔話をしにきたよ。――貴方の嫌いな、貴方の娘のことを、さ」
 無表情を装っているオーラムの顔が、わずかに強張った瞬間を、コバルトはしっかりと見た。
「……やはり、そうか」
 随分と間を開けてから、オーラムが深みのある声で言った。
「不自然なほどに口にしていなかったのは、そういうことか」
「失敗だったね元首。あんたは、不穏分子と分かっていながら、僕たちに《中央研究所(ここ)》への入所許可を出した。それだけは、何が何でも阻止しなきゃいけなかったのに」
 オーラムは押し黙ったまま。脇に控えていた女性――シルビアが低く怒鳴る。
「仕組んでおいたんだろう、よく言う」
 コバルトは頷いて、感情を露わにするシルビアを馬鹿にするような目で見た。
「そうだね。貴方たちにどうにかできるはずもない。この様子だと、予知演算(シミュレーション)のバージョン、まだ更新できてないんでしょ」
 何もかも見透かされていることを知り、オーラムが苦い顔をする。
「……来年度の予算で最重要項目とする」
「いくら金出しても、良い技師がいなければ発展はないよ」
 沈黙が降りる。この場にいる誰もが、その言葉の意味を正しく理解していた。この少年が数年前に創り、政府に売りつけた世界初の事象予知装置、あれを超えるスペックを作り出せる人間は、この時代この世には存在しない。紛れもない事実。
 それが分かっていて、コバルトはこのプランを練ったのだ。たいした対策も抵抗もできないと、きちんと予知した上でけしかけた。
「は、博士!」
 動転した声が不意に割り込んだ。悲壮な顔をしたぼさぼさ頭の老人がコバルトをすがるように見ている。
「ああ」
 コバルトがもらしたのは空気が抜けただけのような気のない声。イアンが尋ねた。
「誰だ?」
「学会理事長」
 今その存在を思い出したかのように老人に向き直って、晴れやかな顔で残酷な言葉を吐いた。
「《中央研究所(ラボ)》への推薦ありがとう。貴方のおかげで難なく目的を果たせたよ」
その決定的な言葉に、理事長は、そんな、とかすれた呟きをこぼす。
「私たちの共同研究は一体、どう……」
「あげる」
 数億の国家予算を掛けた歴代最高規模のプロジェクトに一切の未練を感じさせない響きで、コバルトは答えた。
「でも、たぶんそんなことより、貴方は元首の機嫌とること考えることのほうが優先かもねぇ」
 コバルトの青い瞳がついと右に流れる。それを辿った先にあったオーラムの形相に、理事長は短い悲鳴を上げた。

 世界を統治する最高権力者にも、抗えない運命はある。
 それをはっきりと示すことのできる存在もいる。
 既に、ここは完全にコバルトの独壇場だった。

 しかし尚それでも、政府の設備に多大な損壊を与えた人物をやすやすと逃すほど、オーラムは諦めのよい性格をしてはいなかった。周囲を見回し、最も可能性の高い指示に賭ける。
「シルビア、捕らえろ」
「はい」
 鋭い靴音が鳴る。背筋も凍るほどの冷たい瞳をした美女が、イアンの前に立ちはだかった。イアンの格好をじっくりと眺めて、警戒するように一言。
「いかに内部から誘導しようと、強化服(それ)を着てここに侵入することが、可能だとは思えないのだが」
 コバルトがさっと答える。
「ちょっと特殊性でね」
 内心で笑いながらの説明は、もちろん、真っ赤な嘘。しかし、真に受けた研究者たちは、まじまじと観察するように『最新式の強化服』を見た。視線を集めたイアンは所在無く立ち尽くす。
 嘘や芝居が苦手なイアンが困惑していることには気づいているだろうに、コバルトのはったりは続く。
「いいよ、出番だ。思う存分暴れてみればいい。そんで、さっさと帰ろう」
 周囲に怯えの色が広がる。軟弱な研究者たちは悲鳴をあげ、すぐさま物陰に隠れた。
 学会理事長がギリと歯を鳴らした。
「こんなことをして……CoCeCの名を汚すのか」
「汚す? あんたらにどう思われようが知ったことか。僕たちは、『家族』を返してもらいたいだけ。それよりも大事なことなんてない。――さ、帰ろう、フェルミ」
 イアンに抱えられている背中に手を伸ばす。
 美女が腰の柄に手をかける。
「積極的に研究発表をし、学会理事の推薦を受け、《中央研究所(ラボ)》へ出入りしていたのは……全て、そのアンドロイドが目当てだったと」
「うん、そう、大正解」
 コバルトが隠そうともせずに頷く。
「何度言っても、どういう正当な手続きを踏んでも、返してもらえないみたいだから――」
 笑顔で一言。
「返してもらう……帰してもらうね」
 そう言い放ったと同時、ロックされていたはずの正面扉が乱暴に開放された。ただの板切れとなって内側に吹っ飛ぶ。
 恐ろしい数の武装した人間が雪崩れ込んでくる。
「な」
 シルビアは覆面の男の格好に見覚えがあった。反政府軍(レジスタンツ)の首謀者と噂されていた、指名手配犯の男だ。
「通じていたのか?!」
 コバルトは腕組みをしたまま答えない。口元に軽い笑み。
 だらりと下がっているフェルミの手をとり、進路を誘導するように出口へと向かう。
「待て!!」
 理事長が唾を飛ばして叫ぶ。反射的にコバルトは足を止めた。
フェルミ(それ)をどうするつもりだ!!!」
 コバルトは答えず、また舌を出した。
「雨に、手出しはさせん」
 低く言ったオーラムを、コバルトが鼻で笑う。
「せいぜい頑張ってよ」
 じゃあね、と軽い別れの挨拶を口にして去ろうとする、その背にオーラムは言った。
「『親』の愛情も『家族』の大切さも、分からない奴に世界は救えない」
 断言に、コバルトが一瞬、足を止める。
 イアンがその様子に気づいて、不思議そうな顔をした。
 白衣の裾からのぞく両手を、コバルトはかたく握りしめている。
「……あんただって、親の資格、ないだろう」
「子の暴挙を止めるのは親の責任だ。ましてそれが世界平和を脅かすのなら、なおさら」
「違う!! テルルは、――」
 かっとなって振り向こうとしたコバルトの身体が、唐突に宙に浮いた。
「な」
 突然の浮遊感と変わる視界に驚いたコバルトの前にあったのは、イアンの真剣な顔。
「話しても無駄だ。行くぞ」
 そう言って、右肩にフェルミと銃砲、左肩にコバルトを抱え上げたイアンは、レジスタンツがこじ開けた細い道を抜け、外へ至る通路へと駆け出した。


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