1.



『捕まえられるもんなら捕まえてみろよ』
 ゼムは、頭の上から聞こえた嫌味たっぷりな声に上を見た。生い茂る木々の隙間から、背中から大きな翼を広げた二人の少年が見える。二人は建物の上で羽を休めると、ニヤニヤと地上を見下ろしてきた。
 二人を追っていた少年ゼムは息を切らし、眩しそうに空を見上げる。その背に翼はない。
『降りてこいよ。意気地なし』
 地面で立ち往生し、そう叫ぶしかないゼムをせせら笑って、二人は再び飛び去っていく。
『くそっ』
 今ではすっかり見慣れた光景だが、ゼムはいつものように不貞腐れ、その場に座り込んだ。服のすそからのぞく黒い鱗の尾が、不満そうに地べたを叩く。
『なーにやってんの。こんなところで』
 笑顔を浮かべた少女が、ゼムの頭上から顔をのぞきこんでいた。
 突如頭の上から聞こえてきた言葉にはっとするゼム。
『シリカ。なんでもねーよ』
 ゼムはそっぽを向く。
『……ふ〜ん。そっか』
 少女は見守るように頷き、ゼムに背を向けて言った。察しはつくが、あえて触れない様子。
『ね〜ゼム。お願いがあるんだけど』
 ……いやな予感がする。シリカが遠回しにお願いする時は、いつだって面倒なことだ。と今までの経験から察しがついた。
 ゼムはそう思いながら、シリカの背中を見上げて、何かとたずねた。
『家に帰ってからね。でも、その前に買い物に付き合って』
 そう言うと、シリカはニコニコしながらゼムの方へ振り返った。
『お願いって、もしや荷物持ちじゃ……』
 そう言ってげんなりするゼムを見て、
『バレたか』
とシリカは無邪気に微笑んだ。


『お、重い……』
 ゼムの両腕には、今にもはち切れんばかりの買い物袋がぶらさがっている。よろめきながら歩くゼムを振り返って、前を歩くシリカが笑う。
『そのくらいの荷物で情けないなぁー。男の子でしょ?』
『こんなに食い物買ってどうするんだよ』
 ゼムは呆れ顔で右手の荷物を持ち上げる。あふれんばかりにつめこまれた野菜やパンが、今にもこぼれ落ちそうになっている。
『秘密ー』
 そう言うと、シリカはまたも無邪気な笑顔をゼムに向けた。シリカの両親に拾われてから、ずっと一緒に過ごしているが、たまに何を考えているのか全くわからないな、とゼムは思う。
 村の中央にある大きな広場の入口まで歩いてきたところで、シリカが物珍しそうな顔をして足を止めた。
『あれ、人が集まってる』
つま先立ちをして、人垣の先を除こうとするが、シリカとゼムの背丈では見れなかった。すっかり興味をそそられたゼムは、
『見てくる。荷物よろしく!』
 そう言って、荷物を足元に置くなり、シリカを残して勢いよく駆け出した。
『ちょっと待ってよー』
 すでに、人垣の向こうに消えたゼムには、シリカの叫びは届かなかった。

 ゼムは人だかりをかいくぐって、広場の中央へと進む。
『すみませーん。ちょっと通して通してー』
 大声をあげながら人の肩を押しのけて前に出たゼムの耳に、聞き覚えのある声が届いた。
『や、やめろー。放せってば!!』
 人だかりの真ん中で、翼のはえた二人の少年が後ろ手に掴みあげられていた。その周りを、橙色の服を着た集団が取り囲んでいる。
『あれ、おまえらどうしたんだ』
 ゼムは、捕らえられているのが、さっき追っていた顔見知りの二人組だということに気付く。
『ゼム。こいつらが急に』
 一人の少年が喚きながら、掴まれている腕を振り払おうとした。そして逃げ出そうとすると、揃いの服を着た見慣れない集団に乱暴に取り押さえられ、地べたに押さえ込まれた。
『なにしてんだおまえら』
 ゼムが割って入ろうとするが、集団は無視して二人を取り押さえている。
『こいつらではないな』
 物騒な集団の中央に立つ白い耳の少女が、捕らわれたままびびってかたまってしまった二人を見て、残念そうに言った。背丈こそゼムより低く、子供のようだが、鋭い眼光と振る舞いが、この集団のリーダー的存在であることを物語っていた。
『そいつらを離せ』
 ゼムが更に喚いて、背中に差していた剣を抜いた。
 そこでようやく、白い少女の視線がゼムを捉える。ゼムは背筋に冷たい物を感じた。白い少女にとって、ゼムは今この場にいて、いなかったも同然の扱いを受けていたことを肌で感じる。
 しかし、少女にとって、ゼムがいること、剣を引き抜いたことはどうでもいいことだった。ゼムの体を覆う鱗と黒い尻尾に気付き、「アニドキ」であることに興味を示しただけだった。
『そいつも調べよう』
 橙色の集団にそう命じた。
 ゼムに近い位置に立っていた男たち二人が、すぐさま前へと進み出る。その手には黄金色の古めかしい剣が握られている。
 背の高いほうの男が、先に動いた。大きく振りかぶられた剣を、身を翻し難なく避けるゼム。しかし間髪を入れず、もう一人の男が飛び掛ってくる。両足を押さえられ、身動きのとれないゼムに、再び背の高い男が剣を振るう。剣で受けるがバランスを崩し、転ぶ。ゼムの身体が足を押さえてた男を押しつぶす感じに。
『うぐっ……』
 運よく足かせが外れ、そのまま体勢を整え背の高いほうの男に体当たり。吹っ飛ばす。
 足元まで吹っ飛ばされた兵士を冷ややかに一瞥したあと、
『活きがいいな。では私が相手をしよう』
白い小柄な少女は嬉しそうにそう言うと、背中に背負っていた大振りの重剣を細い片腕で簡単に引き抜いて、構えた。白い尻尾が楽しげに、ゆらゆらと動く。 
 目にも留まらぬ速さで振るわれた巨大な剣の刀背が、ゼムの体を吹っ飛ばした。息つく間もなく、少女の右足がゼムの腹部に蹴りを入れた。受身が間に合わず、ゼムは無防備な体勢のまま地面に打ち付けられる。
 地に伏して動かないゼムを見て、白い少女は残念そうにため息をついた。
『弱いな。こいつはただのトカゲか……』
 すでに立ち上がる力のないゼムの右手が、悔しげに砂利を掴んだ。荒い息を吐いて、叫ぶ。
『友達も守れない、ただのトカゲで……悪かったな……!』
 震える全身に力を入れて、ゼムはようやく首だけを起こした。目の前に立つ、無傷の白い少女と目が合う。少女は、傷だらけのゼムを見て、静かに、見下すように笑った。
『ゼム!!』
 ようやく人混みをかきわけてシリカがゼムを見つけ、駆け寄ってくる。それを視界の端に映しながら、ゼムはゆっくりと意識を手放した。白い少女は、昏倒したゼムをつまらなそうに見る。
『どうやらここに目当てはいないようだ。引くぞ』
 白い少女のその一声で、シリカと入れ違いに橙色の集団が去っていく。
 青ざめた顔のシリカが、ゼムの脇にしゃがみこんで両手をかざした。
『今治すね』
 シリカの両手から七色の光があふれ、急速にゼムの傷を治していく。
 去り際の白い少女は何とはなしに振り返って、その様子をちらりと見る。
『治癒魔法か……珍しい。しかし今の目的はそれではない』
 耳をぴくぴくと動かし、そう小さく呟いて、去っていった。


 誰かの呼ぶ声が、かすかに聞こえる。
『…………ゼム』
 次第にはっきりとしてくる意識の中で、あぁ、これはシリカの声だ、と分かった。
 そして――ゼムは目を開けた。
 倒れたときと同じ場所、夕暮れの広場に寝転んでいることに気づく。
『……治してくれたのか?』
 起き上がりながら、そばにいたシリカに言う。
『うん。大丈夫? まだ痛いところはない?』
 ゼムは、捕らわれていた二人のことを思い出して周囲を見回す。
『あいつらは大丈夫か?』
『平気。少し怪我してたみたいだったけど』
『そか』
 シリカの説明に一瞬だけ笑顔を見せたが、ゼムはそれきり黙り込んだ。
『帰ろっか』
 おずおずとシリカが言うと、ゼムは黙ったまま頷いて、買い込んだ荷物を持った。



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