// 1. Here_Comes_Our_Hero 照りつける太陽。 イアンはビールケースを置き、額の汗を拭った。 乱暴に落とされたケースの中で、ガラス同士がぶつかる音がする。 「あ……っつー」 快晴の空を仰ぎながら、思わずぼやく。 全身に日焼け止め効果のある冷却材を塗ってはいるが、それでも、暑いものは暑い。 額からじんわり染み出た汗が、輪郭を伝って、顎から落ちた。 雨が降らない日はいつもこうだ。 この地域に明確な季節はない。いつも温暖、いつも湿潤。 観光の名物は、晴れの日の 突然、大きな物音。イアンは思わず振り向いた。何かがぶつかるような音に混じって、かすかに悲鳴のようなものも聞こえた気がする。学校で習うような難しいことは分からないが、こういうことにだけは自信のあるイアンは、迷わず聞こえた方角へと足を向けた。 「おい、大丈夫か?」 声をかけて、入り組んだ路地の隙間を覗き込む。 建物に日を遮られて薄暗いが、人影は三つ。その中でイアンの声に反応したのは、こちらに背を向けて立っていた二人だった。 振り返った二人は、そこに立っていた汗だくの男を上から下までじろじろと見て、 「なんだ、パメスか」 安心したように、馬鹿にしたように笑った。 パメス。 ――古めかし言い方をすれば、肉体労働者。その蔑称。 こんな日中にBtolの装備もなく汗まみれで歩き回っていれば、当然、そう呼ばれる。現に、イアンを笑う彼らの首には、当然のようにBtolが乗り、懸命に稼動している。 ――Btol。 装備者の全身を冷気で覆う画期的なシステム。数年前にνpunctum社が開発し大ヒットとなった。今や一人一台、必ず持っているといわれるほどの必需品。 ――唐突に、破裂音。 「おわ」 目の前で何かがはじけた。突然の衝撃にイアンは尻餅をついた。 「ってて、なんだそれ」 薄目を開けて状況を見る。 「QUIPも知らないの、お兄さん」 信じられない、と言って、二人はケタケタと笑う。彼らの手の上では、赤い風船のようなものが、膨らんでは、弾けて、を繰り返していた。 「すげーだろ、ν社の最新防具だよ。不審者を一発で撃退できる」 お兄さんみたいな不審者にね、と言って、二人は高飛車に笑う。 その片方のカバンからアラームが鳴った。続いて、アナウンスが流れる。 『塾の時間です。自動転送を開始します』 「わ、そうだった、時間だ」 慌てて時計を見た少年の前に、勝手に現われた丸い乗り物。一人乗りのそれが、使用者を自動認識し、すぐさまぐにゃりと変形して後部座席を作った。二人はハンドルを握る。 「じゃあな。あとはパメス同士で仲良くね」 二人を乗せた乗り物は、瞬く間に上空へとのぼる。あっという間に見えなくなった。 イアンは見上げるのをやめて、 「ふー。大丈夫か、お前」 うずくまっていた学生に手を差し出した。その手が乱暴に弾かれる。 「俺はパメスなんかじゃない!」 汚れた学生服を握り締めて、イアンを睨みつける。 「ちょっと現象数値化の成績が悪いだけで……俺は、俺はあんたなんかとは違う!!」 そう叫んで、走り去って行った。 「……おー」 伸ばしかけていた行き場のない手を、そっと下ろす。 「……元気だなぁ」 イアンは何と言うべきか分からず、とりあえずそんなことをのんびりと言った。 「――おぉい、イアン!!」 店主の怒鳴り声がする。 「やべっ」 バイト中だったことを思い出し、イアンは慌てて表通りに駆け戻った。 腰にエプロンを巻いたひげの男が、イアンを見つけて呆れた顔をした。 「どこ行ってたんだ、まだ運び終わってないだろう」 男の前には、うずたかく積まれた飲料の山。イアンは慌てて運び途中だったビールケースを持ち上げた。 「すんません。ケンカがあって、仲裁に」 「まーたその言い訳か。そんなもんほっとけって言ってんだろー」 反論しようとイアンが口を開く前に、 「ああ分かってる、お前の言うことはいっつも一緒だもんな」 と言って、店長がめんどくさそうに手を振る。 そして不意に、真剣な顔で向き合った。 「いいか、イアン」 店主は向かいの店をちらりと見る。ν社製のロボットが、機敏な動きでビールケースを運搬している。 「お前の体力を買って、就職に困ってたお前を拾ってやったんだ。分かるな。あっちのロボットに負けないよう、ちゃんと働いてくれなきゃいかん」 イアンは同じく真剣な顔で頷いた。 「――まぁな、俺んとこは、お前のおかげで助かってるがな!」 店長が努めて明るい声を出した。笑ってイアンの背を叩く。 「ロボットの燃料代よりも安い賃金で働いてくれるんだもんな! こんなやつはなかなかいない!」 だからしっかりやれよ、と回りくどい(とイアンは思っている)話を終えて、店長は涼しい店内へと入って行った。 イアンはいつも通り、店長の剣幕に負けて返事をしそびれた。 よし、と気合を入れて、また元の作業に没頭し始める。 イアンは――機械オンチだ。 通信機器はおろか、家電、車両ほか、生活必需品のほとんどがまともに制御できない。 それが、この時代に生きる人にとって、どれほどのハンデか。 せめて端末が使えれば、選べる職業の選択肢もずっと広がったのだろうが。 ただ、幸運なことに、体力だけはあった。ずばぬけて。 ほとんど全てのことが機械でできるようになった今のご時世、それはあまり必要のないことだけれど。 力仕事なんて作業用ロボットに任せておけば良い。どうしても繊細で複雑な動きが必要なときは、 「ふー」 最後の荷物を運び終わった頃には、辺りを夕暮れが包んでいた。向かいで同じ作業していたはずのロボットの姿はすでにない。イアンは一度伸びをして、流れる汗を腕で拭う。それから店をのぞいて挨拶をして、さて帰るかと南の方角に足を向けた。 すぐ間近に人の気配がして、イアンは立ち止まった。砂利を踏みしめる音。 「……」 死角になっている路地から聞こえる硬い足音が、不意に止まった。 聞こえてくるのは子どもの声。 「もし、貴方にしか使えない武器があるって言ったらどうする? もし、 「……は?」 イアンは呆然とするほかない。 やがて、ひょっこりと現われた小さな影。 「こんにちは」 ちいさな女の子が、にっこりと笑って顔を出した。 見慣れない、古めかしいコートを羽織っている。腕の中には黒い兎のぬいぐるみ。 「はじめまして。突然声をかけてしまい、すみません。行き先は申し上げられないのですが、騙されたと思って、何も聞かず、とりあえず私と一緒に来て頂けませんか?」 ひとしきり聞いて、イアンは首をかしげた。よく分からない。 「えーと、行き先は分からないんだな」 「はい」 「で、俺に着いてきて欲しいと」 「はい」 つまり、と言って少女の前にイアンがしゃがみ、人差し指を立てる。 「迷子か!」 「……」 少女の顔が一瞬ひきつったように見えたが、気のせいだろう。 イアンは気にせず笑って続ける。 「いいぜ。お兄さんが家まで送ってやろう。あ、あとさ、俺、敬語よく分かんねーから、普通にしゃべって良いよ」 灰色の瞳が驚いたように真ん丸になる。それきり何も言わなくなった相手に、イアンはそこでようやく不安になって、 「……俺なんか間違ったこと言った?」 そう問い返した。はっとなった少女は、満面の笑みを浮かべて首を振る。 「ううん。どうもありがとう、親切なお兄さん!」 そう言って差し出された小さな手を、イアンは何の迷いもなく手にとった。 ……この先に何が待ち受けるんだろうかなんて、一切、考えもせずに。 SFトップに戻る WMトップに戻る |