// 5. Dr.Cobalt_Settled_Down_To_Work いつも着ているコートの代わりに真っ白な白衣をまとって、コバルトが通りに立っている。ポケットに両手をつっこみ、いつもどおりの無表情。ぼうっとしているように見えるが、実際、脳内では目まぐるしく途方もない数値計算が展開されている。 その数メートル手前に、円盤型の送迎車が出現した。コバルトが演算をやめて顔を向ける。 車内から現れたのは、同じような白衣を着た壮齢の男。 「お待たせいたしました」 迎えに来た男は、コバルトにうやうやしく頭を下げる。それから、物珍しそうに周囲を見回した。 「セリウムさんの見送りはないんですね」 「うん。作業中」 答えて、コバルトは車に乗り込んだ。すぐに、音も揺れもなく移動を始める送迎車。 隣に座った男が、コバルトのつむじを見下ろして口を開いた。 「――ν社からの依頼ですか?」 コバルトの剣呑な洞察眼がするりと上を向く。男と目が合う。 「……どこからの情報か知らないけど、あそこから言われたやつは、もう全部終わってる」 男は目を細め、穏やかに頷いた。 「そうですか」 「余計な詮索をするなら、意味のあるものにして欲しいな。不愉快だ」 「それは失礼いたしました。――私も含め、研究者たちは、ついつい憧れの貴方の動向を探ってしまうんですよ」 コバルトが皮肉たっぷりの笑顔を浮かべて、無邪気に足を揺らす。 「ねぇお兄さん、開発効率って考えたことあるー?」 確かに通じているはずの皮肉にも、男は平然としたまま応じる。 「憧憬は、立派なモチベーションになりうると思いますが?」 「せめて闘争心と言ってよ」 「残念ながら、恐れ多くてですね」 「不甲斐ない」 コバルトが唇を尖らせる。 「そんなんで世界最高峰の研究者って名乗れるわけ?」 「貴方はご存知でしょう。皆、その肩書きや名誉などはどうでもよくて、ただその研究環境が欲しいだけなんです」 「そっか。僕とおんなじだね」 コバルトがにっこり笑う。男も合わせて微笑んだ。 「――そろそろ教えていただけませんか、コバルト博士」 男が不意に真面目な顔に戻る。 「貴方が《 「余計な詮索をするなら、意味のあるものにして欲しいな。不愉快だ」 コバルトは冷たい目をして、そう繰り返す。 「真正面からそう聞かれて、正直に答える馬鹿がどこにいる?」 その返答に、男は諦めて息を吐き、「失礼しました」と頭を下げた。 一方。 コバルトは、口にこそ出さなかったが、内心は苦々しい気持ちでいっぱいになっていた。自分で言った『正直に答える馬鹿』に思い当たる人間が、一人出てきてしまって。 ……あの馬鹿、本当にちゃんと動けるんだろうな。 隣に座る目ざとい男に悟られないよう、『計画』の算段を思い返し、コバルトはため息をついた。 『到着しました』 電子音が言う。車両が止まり、左右のドアが消える。 「行きましょう」 男が先に降り立つ。その背にコバルトも続く。 ゲートでの個人認証と殺菌消毒、携行品検閲を終えて施設内に入る。 男が部屋番号を告げる。とたん、二人の足を乗せた床がふわりと浮き上がり、移動を開始した。 「元首は?」 「ああ、本日はいらしてますよ。挨拶していきます?」 男が天井を指さす。《 コバルトは、前回会ったときの――年度始めの演説会で、市民からの歓声の中、バルコニーに堂々と立ち弁舌をふるっていた、食えない老人の顔を思い出す。 「いい」 確認したかっただけのコバルトは首を振った。 床が止まる。扉が開く。 ずらりと並んでいた白衣の人間が、一斉に頭を下げた。どれも、不健康そうな、聡明そうな顔をしている。プロジェクトの代表者と名乗った男の形式的な挨拶の口上を、コバルトは適当に聞き流して打ち切って、用件を促す。握手を求めて差し出そうとしていた手を慌てて引っ込めて、代表者は苦笑した。怪訝な顔をするコバルト。 「いえ、噂どおりの御方だなぁと思いまして。写真を拝見した限りではもっとこう、なんというか」 口ごもった男に、コバルトが外見相応の可愛らしい笑みを見せる。 「写真写りは良いほうなんだ。――親が、ことあるごとに記念写真を撮りたがる人でね」 広い室内を見回したコバルトは、メインコントロール用の席を見つけてぴょいと飛び乗った。床に届かない足をぶらぶら揺らしながら、鼻歌交じりに、中身をざっと確認する。 背後に歩み寄っていた代表の顔を仰いで、たずねる。 「これを動くようにしろって?」 「ええ。お願いします」 気が散らないように、と言って、代表は少し離れた席に座って別の作業を始めた。 しばらく画面とにらめっこしていたコバルトは、何かひらめいたように突然、手を動かし始める。手の空いた研究員がかわるがわる、その作業を興味深そうに覗き込んでいく。しかし、一瞬だけ盗み見た画面から全貌を理解できた者は極めて少なかった。 「――あぁもう」 コバルトが小さく言って、使っていた入力デバイスを投げ捨てた。子どもの手には大きすぎる市販のデバイスが、音を立てて床に転がる。近くにいた女性が慌てて拾い上げる。その頃には既に、コバルトはパネルでの操作に切り替えていた。画面の上で、めまぐるしく数字が踊る。 音を聞きつけた代表が、別の作業を止めて駆け寄ってきた。 「失礼しました。次回までに買い揃えておきます」 「いいよ、次は持参する。今まで我慢してたけど、ここのは全部使いづらいから」 セリウムお手製のデバイスが一番。そう言われてしまえば、代表はそれ以上の提案ができず、黙って頷くにとどめた。 やがてコバルトは手を止めた。画面には『処理の開始』を意味する制御言語が表示されている。 「これでいいんじゃないの――と、」 ふと思い立って顔を横に向ける。間近にあった白い壁に、コバルトは手を滑らせた。紛れもなくCoCeC特製の強化鋼鉄繊維。 その様子に気づいた初老の研究者が、羨ましさを隠そうともせず笑った。 「ご自分の研究成果が、この施設の一面に張り巡らされているというのは、さぞかし壮観でしょうな」 コバルトは顔をしかめた。 「ただの白い壁に、そんな感慨沸かないよ」 「おや、そうですか」 顔を戻す。画面に表示されている処理終了までの残り時間に、コバルトは顔をしかめた。仮眠をとれてしまうくらい長くかかる。このままここにいたら、無駄に熱心な研究者たちに、どうでもいいことばかり詮索されるに決まっている。そう結論付けて、コバルトは席を立った。 「ちょっとそこらへん散歩してくる」 白衣をはためかせて出口へと向かう。 「でしたら付き添いの者を」 「いらない」 そっけなく言って足早に部屋を出る。両手を大きく振って、できるだけ早く歩く。 追ってくるものはいない。コバルトの顰蹙を買ってまで追いかけてくるような者はいない。どうせコバルトに見られて困る研究なんて、この建物のどこを探しても存在しないのだ。それくらい、CoCeCは《 《 勝手にセキュリティを解除して、とある小さな空間の前で立ち止まる。 どう飛び上がっても届かない、はるか頭上にある《鳥籠》を見上げた。《籠》を載せてそびえたつ透明な石柱に歩み寄る。内部の液体がディスプレーとなって《籠》の中を映し出している。 こつんと強化ガラスに額を当てる。ひんやりとした温度がゆっくりと皮膚に伝わってくる。 青い瞳を閉じて、小さく呟く。 「もうちょっと待ってて、フェルミ。――絶対に、助け出すから」 ……一枚隔てた先に映る『家族』は、虚ろな目をしたまま。 SFトップに戻る WMトップに戻る |